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クレーム千夜一夜 <第29夜 なし崩し >
オリンピック開会式まで40日を切りました。
今月の初めまでは、オリパラを開催しよう、それは難しいでしょう、と世論は二分されていました(いやあ、3割×7割かな?)、
ここ数日の報道を見ると、「政府や組織委員会、東京都」の主催団体は、開催を前提にした発言が目立ちます。
つい先日(6/11~13)ロンドンで開催されたG7では、各国首脳全員がオリパラ開催を支持するというメッセージがあったと国は発表しています。
世界から「お墨付き」を貰ったかのようなメッセージを私たち国民に与えています。
昨今の国の報道は、開催することを前提にして、「観客の有無」に論点が移ってきています。むしろ、無観客の発想すら薄れて有観客をほぼ前提としていると言えます。
観客数をどのくらいにするかに移り始めています。
あれ?「開催に疑問」という国民の声はどこに行ってしまったのでしょう。
本来であれば、1年前に延期を決めたときから、考える時間・日数は豊富にあったのです。
1年前から「コロナの状況見通し、病院の逼迫見通し、ワクチンの確保見通し、等々決めておかねばならなかったのです。
決めなければならないことは山とあるのです。もちろん、決めたことが状況の変化で「AからA’」に変ることは何も問題ありません。
しかし、国民を特定の方向に誘導するのが得意な国のリーダーは、開催の可否の基準や条件などを早々と決めてしまったら、リーダーの「自由度」が無くなってしまうので明確にはしません。
いつでも曖昧にしたままで、リーダーの思惑通りに徐々に徐々にモノゴトを進めていく戦術をとっていきます。
しかも、そのときどきに発表するデータは、常にリーダーに都合の良い一部分だけです。
細かいところなどは絶対に公表しません。公表してしまったら「開催することは難しい」ことを自らが公表してしまうようなデータ結果だからです。
「安心・安全です。国民の健康を守ることが私の仕事です」と情緒的なメッセージを発信しているだけで、細部は公表しませんから国民が推測するしかありません。
国民は「リーダーが大丈夫、と言っているので多分大丈夫だろう」という発想になっているのでしょうね。
そのような戦術が成功していますから、オリンピック開会式まで40日を切った今では、国民の心は徐々に改変してきています。
「今の時点で開催中止にしたら、世界から非難の声を受けます。開催は仕方がないですよ。開催に手を上げたのですから義務ですよ」
「各種目の代表選考会が終わった今になって、中止だなんて言ったら何年も練習してきた代表選手が気の毒ですよ。やらせてあげたい」
「チケットを購入した人にはどう対応するんですか?崇高な気持ちで志願してくれたボランティアの人たちにはどう補償するのですか?」
「多数の会場施設は既に建設済みです。オリンピックで使用しないなんて税金の無駄になりますよ」
と開催しないととんでもないことになる、かのような考え方になっているのでしょうね。
私も含めて、開催に疑問を持っていた人たちも、さすがに開会式が当日になってしまったら「中止」の声を上げることは出来ないのでしょうね。
「仕方が無いよ・・・」と。